1999年、市場経済導入から10年近くたったモンゴル。チンギス・ハーンの時代から守り続けてきた大草原や人々の暮らしにも、様々な変化が現れてきていた。これは、変わりゆくモンゴルの草原で起こった、小さな、しかし深い出逢いの物語である。
探検家の関野吉晴は、南米最南端から人類誕生の地アフリカを目指す旅「グレートジャーニー」の途上、モンゴルの大草原でひとりの少女と出会った。自在に馬を操る少女の凛々しい姿に魅了された関野は、写真撮影に熱中するあまり彼女の仕事を不用意に妨げてしまう。そのとき、少女の声が飛んできた。「写真撮るなら、こっちにこないで!」
少女はプージェーといった。当時6歳。関野の一人娘と同い年だった。50歳の日本人とモンゴルの少女との交流がはじまった。
プージェー一家の住むゲル(移動式テント住居)に通ううちに、関野は彼女の家が馬泥棒にあったことを知る。市場経済導入後に、馬を盗み遠くの市場で売り飛ばす輩が増えているのだ。馬を奪われることは生活の困窮を意味する。だがそんな状況でも、一家は関野を快く受け入れてくれた。プージェーの母、エルデネチメグさんは、別れのとき、アフリカにまで旅をするという関野に「乗っていって下さい」と馬をプレゼントしてくれた。
翌年の2000年春、関野はプージェー一家を再訪する。そして、プージェーの母親が死んだことを知らされる。落馬して内臓を傷つけ、病院に行ったが、保険がないことを理由に診療を拒否され、事故から12日後に息を引き取った。32歳の若さだった。関野は、プージェーが日本のの通訳になる夢を持ったことを知る。プージェーの遊牧民らしさが好きで通っていたが、そのことが、皮肉にもプージェーが草原を離れる理由を作ってしまったのかも知れない。しかし、関野はプージェーが望めば、日本にしてもらおうと密かに考え始めていた。
4年後、グレートジャーニーを終えた関野は、新しい旅のスタートにプージェーのゲルを選んだ。
そして……。 |